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パク・ユチョンという人 -生い立ちから告訴されるまで- 【前編】

      2016/10/30

先日来、ユチョン事件を追っていますが、さらにそれを深く知るには、彼の生い立ちから東方神起時代、そして分裂、俳優活動、母や弟との関係、タトゥ、私生活を知りたいと思い調べてみました。
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■ ソウルで誕生後、アメリカバージニアへ

1986年6月4日、韓国ソウル市で誕生。
1998年、IMF危機(韓国経済悪化)の影響を受け家計がどん底に落ちた一家は、新たな仕事を求め、両親と4歳下の弟ユファンと共に渡米。小学校6年生から東方神起としてデビューするまで、アメリカのバージニア州で暮らす。しかし、言葉がわからないため学校になじめず、また救いとなるはずの家庭でも、以前から喧嘩が絶えない両親の仲がさらに悪化し、結局離婚する。

ユチョンとユファンは母親に引き取られ、女手一つで異国の地で子供を育てなければならぬため、夜遅くまで働き詰めだったものの生活は苦しく、兄弟は毎晩カップラーメンで飢えをしのいでいた。

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弟ユファンと

 

このままでは自分のせいで子供の未来が犠牲になる…と考えた母親は、離婚した夫と話し合い、その後、兄弟は父親の元で暮らすこととなる。のちに高校に進学したユチョンは家計を助けるべく工事現場などで肉体労働に励む傍ら、子供の頃より歌手になるのが夢だった彼は、慣れない土地での孤独感からピアノと音楽に没頭する。

のちにユチョンは「弟にだけはぼくと同じ思いをさせたくなかった。バイトで貯めたお金で、弟が必要なものは全て買いました。学校の送り迎えもぼくがやっていたんです。たぶんぼくは、両親にやってほしかったことを、弟にしてあげようとしたのだと思います。」と語っている。

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アメリカ時代

2001年「米州歌謡大賞」を受賞。オーディションを受けるため自ら渡航費を用意し、「弟を一人残してくることをいつも申し訳なく思っていた」が単身韓国に帰国。2003年「KBN青少年歌謡祭特別賞」を受賞後、2003年エスエム・エンタテインメント(以降SME)に所属。

 

■ 東方神起としてデビューして

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2004年1月に韓国SMEよりCDデビュー。東方神起の名前の由来は「東方の神が起きる」という意味で名付けられる。
韓国新人賞を獲得し、一躍人気を欲しいままにしたものの、BoAを育てた、SMEのイ・スマン氏の意向で、アジアを制覇を目的に東方神起を日本でまずは成功させるため、生活の拠点を日本にも置いて、日本語を習い、ボイストレーニングを重ね、翌年、2005年にシングル「Stay With Me Tonight」でJ-POPシーンの一新人グループとして日本正式デビューを果たす。
この年のオリコン年間ランキングの順位は525位。

韓国では大きいホールを満杯にし、テレビでも売れっ子な彼らが、日本ではただの一新人グループとして、日本の端から端の小さな会場で、わずか数曲を歌い、サイン会などを行う日々。
一年の半分以上を日本暮らしし、時には母国が恋しくて、スリッパを電話に見立て電話で交信するマネをしたこともあったとか。

その後、日本にはいない歌もダンスも迫力がある男性5人組のパフォーマンスグループということで、徐々に知名度や人気が2007年春から2008年前半の間に知名度を上昇させて、デビューからオリコン3位にまで登りつめることとなり、同時に日本のみならず、母国韓国や中国、アジア圏でも活動をし、2008年には韓国にてゴールデンディスク賞『大賞』、MKMF『今年の最高アーティスト賞』、ソウル歌謡大賞『大賞』、SBS歌謡大典『大賞』を受賞しグランドスラム達成、人気絶頂に。そして長い間、心苦しく思っていた母親と弟をアメリカから韓国に呼び寄せ、それまで、東方神起メンバー5人で事務所が用意した「宿舎」と呼ばれる高級マンションから出て、家族と住み始める。

また、日本でも2008年、日本レコード大賞『優秀作品賞』受賞、紅白歌合戦出場、2009年には念願の東京ドーム2days公演の成功をおさめ、まさにこれから「東方神起の時代」となるはずだった時、分裂の噂が流れだすこととなる。

 

【東方神起分裂の経緯から】

■ 分裂の経緯は

*発端は化粧品投資から?

2009年1月6日に北京で行なわれた『クレビュー化粧品』の中国法人投資説明会に、のちにJYJとして独立したジェジュン、ユチョン、ジュンスが出席。
現東方神起として活動しているユノ、チャンミンは出席せず、結局、その後、同年2~5月の間に韓国で、それぞれの両親や姉が運営する化粧品店を開業。
所属社のSMEは「単純な金銭投資なら問題はないが、東方神起としての肖像権は使用しない事、理事等の役職に就かない事」を確認の上、3人側は承諾している。
2009年2月6日、SMEと5人のメンバーと家族は「専属契約内容」に同意の上、契約書にサインをし、5度目の契約更新をする。この更新は2008年7月1日に遡(さかのぼ)り適用され、韓国でのCDの売り上げの利益配分などが改善される。そして、この時期、ユノとチャンミンの両親は「一緒に化粧品事業をやらないか?」と誘われるが断っている。
2009年3月~4月にジェジュン、ユチョン、ジュンスの3人のメンバーの家族たちは、韓国では化粧品会社の代理店を開設し、メンバーたちと一緒に間接的な化粧品の広告をしながら化粧品の販売を始め、様々なファンサイトやブログにその内容を掲載。ここで、実際は事業に参加していないユノ・チャンミンの画像も使用したマーケティングが行われ、3人は理事の名刺を持ち、商品に東方神起の画像を使用したプレゼントや直筆サインを付ける等の(SM保有の)肖像権侵害、また東方神起のネームバリューを利用した化粧品販売、日本公演の際家族がファンを相手に化粧品販売をする等の行為が行われていた。
これにより、同年5月、日本のファンが日本所属社の「エイベックスお客様センター」に化粧品事業の問合わせをしたことによりエイベックスがSMEに公式的な事実確認を求めることとなる。
これは大手化粧品会社から韓国と中国の広告モデルに3人を使いたいというオファーがあったためだが、3人は展開する化粧品事業のため拒否したことからといわれている。
結果、6月6日、SMEにてメンバーの両親とSMエンタ、キム・ヨンミン代表の会談が行われる。
SME側は化粧品会社との締結契約書を見せるよう要請、メンバーであるジュンスの父は日本の収益計算が疑わしいという立場からSMEとエイベックスの契約書を見せるよう要求するも、結局話し合いは決裂し、ジュンス父はユノとチャンミンの父らに「うちのジュンスはこれ以上SMEと仕事をしないしユチョンとジェジュンも私たちと一緒にする事にしたから、ユノとチャンミンのお宅もそのつもりでいてくれ」という言葉を残し、3メンバーはその後のSMEの新スケジュールを拒否することとなる。
そして、6月24日、ジェジュン、ユチョン、ジュンスはSMEに対し「SMEとの契約が13年専属という異常な契約、努力に見合う待遇を受けていない等の理由で「専属契約無効通知および資料の提出の要求」というタイトルの内容証明を提出。
その10日後、7月4、5日に夢にまでみた東京ドームに立つこととなる。

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*東京ドームの後は…
SMEの新スケジュールは行わないものの、エイベックス社との契約である日本スケジュールは残っているため、母国やアジア圏での活動は見ることができなくとも、日本のスケジュールは消化しなくてはならず、渦中の中、7月終わりに「神宮花火大会」に出演のために来日、その数日後の31日、ジェジュン、ユチョン、ジュンスは弁護士を介しSMへの『専属契約の効力停止仮処分申請』を提起し、8月3日には「3人の立場表明」を発表。

それぞれが消化すべき個人スケジュールをこなしながら、9月30日には、裁判所が3人に対しSMと交渉するよう調整を試みますが、3人側は「本質は不当な契約である」と言いながら「調整の意思がない」という立場を明らかに。10月27日、『本訴訟の判決が宣告されるまでの間』専属契約の効力を停止する、の判決が下りる。
それによって、SMに残留を決めたユノ及びチャンミンは、「東方神起」の活動を停止することになった。

11月2日にはSMEのキム・ヨンミン代表が憔悴しきった顔で記者会見し、一切公の場に言葉を発しなかったユノとチャンミンの意思(東方神起はSMエンターテインメントから作成され、これからも私達はSMエンターテインメントの東方神起として活動する)が初めて明らか。
同社も来年春に韓国でカムバック活動計画があるので、東方神起を継続するのかどうかを回答して欲しい、と要請するも3人側は「法で解決を望んでいてSM側の公開要求に答える意志が全くない」と答え、その後、本訴訟を提起することなく3人は個人活動に突入する。。

 

* 残された日本活動消化に来日するが…

5人活動時は互いを「家族」と言って憚らなかったのが、来日は3人と2人に分かれてのものとなり、11月24日、「ベストヒット歌謡祭」に出演する為に来日した際、3人には、今回の「ユチョン事件」で話題となっているCjeSエンターテインメントのペク・チャンジュ代表が同行。
また、エイベックス社が管理している東方神起の日本ファンクラブ「Bigeast」のファンイベントがすでに翌年決定し、チケット販売も済んでいましたが、12月12日、「本当の笑顔を見せられない状態で、ステージに立つのは、ファンの皆さんに嘘をつくことになるので、一生懸命悩みましたが中止にすることを決めました。」とイベント中止の公知がされるも、同日韓国ではジェジュン、ユチョン、ジュンスが独自活動を始め、ソウルにて『スマイルアゲイン・チャリティーファンミーティング』を開催。

12月31日~2010年1月1日、「紅白歌合戦」「レコード大賞」「CDTV」に5人揃って最後のステージに立ち、この日で事実上、5人の東方神起を見ることはなくなった。

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■ ユニットJJY(のちにJYJ)結成

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2010年元旦、スポニチ誌に「東方神起が解散へ…紅白出演も2人やる気なし」なる記事が報道されます。これは前日の紅白歌合戦でユノとチャンミンの態度が悪かったというニュアンスのことが書かれていたが、SME及びエイベックスは「事実無根」とコメント。この頃、まだ日本ファンは5人復活の夢を抱き、署名運動やCD売り上げに貢献しようと活動する。
それからすぐの4日、3人はオーストラリアに出国、当初、バカンスか?と推測されるも、のちにこの時撮影されたDVD『THREE VOICES』が販売されることとなる。

日本ファンイベントが予定されいた2月~3月、ジュンスがミュージカル『モーツァルト』に出演、同時期、エイベックス社はSMEの持ち株を全て売却。
そして、4月3日にエイベックス社が「(5人の東方神起)日本活動は休止」を発表。
と同時に14日にはジュンス、ジェジュン、ユチョンがエイベックスと専属マネジメント契約を締結し、新ユニットを結成し、ドーム公演『JUNSU/JEJUNG/YUCHUN THANKSGIVING LIVE IN DOME』開催を発表。ジェジュンは日本ドラマ『素直になれなくて』出演、5月26日、ジュンスがシア・ジュンスとして日本シングル『XIAH』リリースと、日本活動を開始することに。

このドーム公演も、まだ5人復活を信じていたファンが多く、楽曲にもそれを匂わせるものがあったり、ひそかにユノとチャンミンはこのステージを見にきているなどの噂も流れるなど、根強い復活信仰が残っていた。そして毎年5人で出演していたエイベックス社の夏イベント「a-nation」には3人で出演するも、この少し前より、韓国活動本格的復帰に向け、渡米しレコーディングをするなど着々と準備を進め、蜜月と思われたエイベックス社との関係が、cjes代表者のペク氏の扱いをめぐり、冷却化へと向かっていく。

 

■ 早くも『JUNSU/JEJUNG/YUCHUN』 日本における活動休止に、そして「JYJ」誕生

その後、9月16日、エイベックス社は3人の活動休止を発表。

日本において現在JUNSU/JEJUNG/YUCHUNのマネジメント業務を行っている韓国法人C-JeS ENTERTAINMENT CO.,LTD.の代表者が、 暴力団幹部の経歴をもつ父親の威力を背景に担当アーティストを恐喝し、強要罪で実刑判決を受け服役していた、との報道につき、当社は事実関係を調査しておりました。
その結果、現時点での暴力団との関係こそ明らかではないものの、その他につきましては上記報道がすべて事実であることが判明いたしました。
また、韓国で係争中のJUNSU/JEJUNG/YUCHUN の専属契約確認訴訟の進展により、彼らと当社との専属契約自体が無効とされる可能性が高まってまいりました。
当社はコンプライアンス重視、企業倫理遵守の経営方針から、これらの問題が解決されない限り、彼らのアーティスト活動をマネジメントするべきではないと判断いたしました。

 

これに対し、3人側はその経歴を口実にエイベックス側から不利な条件での再契約を求められていたと主張し、活動休止は一方的と反論したものの、日本での活動をその後長きにわたり絶たれることとなった。
そして、5人復活を唱えていたファンも、韓国での情報(それを翻訳したものによる微妙なニュアンスのすれ違い)や様々な推測等々により、3人ファン対2人ファンに分裂することとなり、以降ネットやリアルな仲間同士の間で、熾烈なバッシングや争いが行われるようになっていく。

それから約2週間後の同年9月29日、3人はそれぞれの名前の頭文字をつなげた「JYJ」というグループ名で世界デビューすることを発表。これに伴い、『ザ・ビギニング』と名付けられた英語詞アルバムはアジアだけでなく、ワーナー・ブラザーズ・レコードを通じて米国でもリリースされることになった。

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このアルバムは同年10月に韓国でリリースされ、同時に3人はプロモーションのためにアジアや米国各地を回る有料ライブ・ツアー「JYJワールドワイド・ショーケース」を韓国ソウルからスタート。韓国ではリリース前、まだ3人の専属権を持つと主張するSMEから発売差し止めの仮処分が申し立てられ、またJYJを前例とした強行移籍の続発を阻止したい業界団体の韓国大衆文化芸術産業総連合からも「二重契約」を理由にJYJのテレビ出演や楽曲配信を見合わせるよう各事業者に要請が出されるなどしたが、仮処分もリリース直後に取り下げられたため、支障なく販売された。

結局、同アルバムはリリースの前後に放送されたKBSドラマ『トキメキ☆成均館スキャンダル』への主演により急上昇したユチョン人気にも支えられて、韓国で同年末までに3形態合わせて、レコード会社による集計を元にしたガオンチャートで約29万枚、小売店での売上を元にしたハントチャートで約13万枚の売上を記録した。

 

■ SMは公式HPに『ユノ・ユノ、チェガン・チャンミン2人組編成で東方神起カムバック』を発表

2010年に入ってから、個人活動はしていたものの、東方神起としての活動は休止されたままだったユノとチャンミンは、同年8月21日、蚕室総合運動場で行われたSM社のアーティストが一堂に会す一大イベント「SMTOWN LIVE '10」にて、ユノ&チャンミンという名で復活。この日を待ち侘びた会場は赤いペンライトで埋まり、歓声に包まれた圧倒的なステージに、2人での東方神起でも全く問題ないと、5人東方神起の生みの親でもある同社イ・スマン氏が2人による東方神起復活にGOサインを出す。

11月23日、以下のコメントを発表。
エスエム・エンターテインメント(以下エスエム)は、東方神起メンバー3人がチームからの離脱及び一連の事の後、1年余りの長い間、ユンホ、チャンミン2人のメンバーの音楽活動を控えてきました。 「東方神起」を守りたいという2人のメンバーと会社の気持ちと夢のために、また、変わらぬ声援を送ってくださるファンの皆さんのことを考えながら、長い時間を待ってきました。
仮処分判決からも分かるように、東方神起の活動はエスエムで行なっていくべきです。
それにも関わらず、3人はエスエムが提案した東方神起としての活動については残念ながら何の返答もしておりません。
このような状況を受け、私たちは長い間考えた結果、次のように決めることにしました。
一途に自分たちの居場所を守り続け、 「東方神起」という夢を諦めないユノ、チャンミンのため、そして長い時間をかけて大切に作り上げてきた「東方神起」を持続させていくために、2人のメンバーと共に「東方神起」を守っていくことを決めました。
どんなことがあっても、これまで東方神起を一緒に作り上げてきた大勢のファンの皆さんからの愛と信頼を考えたときに、 「東方神起」は続けるべきだと判断したのです。
しかし、未来において想定できるあらゆる可能性は排除できません。
また、「東方神起」を続けていくことこそ、「東方神起」を待ち続け応援してくださる ファンの皆さんに対する最善の恩返しだと思います。
「東方神起」の誕生と成長を共にしてきたエスエムは、今後も「東方神起」を守っていきます。

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■ 訴訟は泥沼を経て終結に

本訴訟を提起しないJYJ側に対しSMから起訴するなどで、数年に渡る裁判となったが、2012年11月28日、ソウル中央地方裁判所で任意調停を通じて、SMEエンターテインメントとJYJメンバー3人は両側間に締結されたすべての契約を仮処分申請日時である2009年7月31日をもって終了することとなり、また関連したすべての訴訟は取り下げて、以後相互諸般活動を干渉しないという内容の合意書を締結することで、ようやく長かった闘いが終わり、これによって正式に「東方神起」はユノとチャンミンの2人が、ジェジュン、ユチョン、ジュンスは「JYJ」となった。

 

■ そして「東方神起」と「JYJ」に

2010年11月23日に「東方神起」復活を発表と同時に、一旦3人側に付いていたエイベックスもSMEとの関係を再構築し、2人となった東方神起の日本での活動を支援することを明らかに。そして2011年1月、東方神起は、韓国で「SMミュージック・パフォーマンス」(SMP) に回帰した歌をタイトル曲にした5集『Keep Your Head Down』を、また日本で同タイトル曲の日本語版シングル「Why? (Keep Your Head Down)」を発表し、2人による新たな活動を開始。

この2人だけで東方神起の名を使うという状況に対して、「JYJ」の3人は事務所を離れたとはいえ我々もまだ東方神起であるとして当時、遺憾を表したり、チャンミンは「群れを離れた鳥が『まだ群れにいる』と言うのは矛盾している」とJYJ側の主張を一蹴したりと、双方の想いは平行線でしたが、ユノとチャンミンは、分裂の原因であるJYJとSMの対立が解消されるまで、サイクルの早い韓国ではすでに忘れられつつあるグループを誰かが守らなければならないと、2人での活動再開を説明する。

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■ 「JYJ」とエイベックスとの訴訟は

2013年1月18日、東京地裁は、エイベックス・マネジメントに対し、日本国内でのJYJの独占マネジメント権を主張する行為を禁じる判決を下し、また、6億6000万円の賠償金をJYJの韓国マネージメント会社のシージェス・エンターテインメントへ支払うよう命じると共に、シージェス・エンターテインメント代表に対するエイベックスの名誉毀損を認定し、100万円の損害賠償を命じたが、エイベックス社は判決を不服として直ちに知的財産高等裁判所に控訴するも、2014年2月に東京高等裁判所において、両者間におけるすべての訴訟を終結し、今後双方の活動に対し一切干渉しないとの内容で和解。
それまで「同社の妨害」「圧力」などとファンがネット上でヒートアップするなど、3人の日本活動は支障をきたしていたが、以降、日本でもライブ活動などが行われるようになり、現在は唯一、兵役についていないジュンスが日本ライブツアーを行っている。そして「東方神起」のユノとチャンミンは現在兵役中である。

【後編へ続く】

パク・ユチョンという人 -生い立ちから告訴されるまで- 【後編】

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